伊集院光VSダウ90000蓮見とオードリー若林VS浅田次郎の批評アンサー

ネットニュースの文字起こしだけを読むと、なんだかピリピリとした対立構造に見えることがある。しかし実際にラジオの音源を聴くと、そこには活字にはならない熱量やエンタメへの洗練を感じることがある。

今週のラジオでは、自身の作品に対する批評へのパーソナリティの向き合い方が2つの番組で見つけた。ダウ90000の蓮見翔さんと、オードリーの若林正恭さんだ。

まずは、ダウ90000・蓮見翔さんのケース。

彼が脚本を手がけた『クレヨンしんちゃん』について、伊集院光さんが自身の番組で「腰が抜けるほどつまらない」と評した。これに対し、蓮見さんはラジオ『REQ JAM』で真正面からアンサーを返した。

ネットの切り取りだけを見れば、伊集院光さんと蓮見翔さんのバチバチの対立図式に映る。

たしかに蓮見さんのトーンは、伊集院さん同様に少しかかり気味だった。しかしこれこそが彼が自作に向き合う熱量の証だ。「なんでそんなことを、『しんちゃん』一発で言われなきゃいけないのか」と言葉には、作り手としての純粋さしか感じ取れなかった。

一方で、伊集院さんの発言についてもリスナー目線での補足をしておきたい。神田伯山さんの言葉を借りるなら、伊集院さんには時々「コンディションが悪い日」がある。

この週の放送でも、曲紹介でアーティスト名や曲名に対して「よくわからん」と噛みついていた。要するに、そういうバイオリズムの日だったのだ。表現者同士だからこそ、時に摩擦が生じる。それは決してネガティブなだけのものではない。

爆笑問題太田さんがダウ90000の数字を「した人数」と発言し、めっちゃ滑っていた。蓮見さんもその世代から論評を受けるほどの表現者になっている。

それだけで、見ているこちら側もわくわくする。

もうひとつは、オードリー若林正恭さんのケースだ。 彼が自身の小説『青天』に対する直木賞選考委員の厳しい選評を受け、ラジオでどう反応したか?

これが痺れるほど見事だった。

特に浅田次郎先生からの「作者自身の青春グラフィティの域を出ず、小説の条件であるところの経験や事実以上の劇性を感じられなかった」という手厳しい指摘。

これに対して若林さんは、「経験や事実以上の劇性がなくても名作はいっぱいある」と持論でツッコミを入れつつも、最終的には浅田先生の代表作『鉄道員(ぽっぽ屋)』を引き合いに出し、「ぽっぽ屋の赤い旗でボコボコにされる」「『劇がないんだよ!』と笛を吹かれながらSLのおもちゃで殴られるかもしれない」と完璧に笑いへと変えてみせた。

蓮見さんがクリエイターとして真正面から熱量でぶつかったのに対し、若林さんは権威からの厳しい批評を「芸人のトーク」として見事なアンサーを返した。

文字に起こすと「反論」や「対立」に見えがちなラジオでの発言だが、そこには決してガツガツした怒りだけがあるわけではない。

一方は自作への熱すぎるほどの愛情であり、もう一方は批評すらもエンタメに洗練する芸人としてのしたたかさである。

芸能人はどんな発信をするのか?

SNSで見掛ける常に世の中に文句を垂れ流している芸能人とはまったく違う、蓮見さんや若林さんからは自身の生き様そのものが色濃く反映されている「応え」ように感じた。

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