ラジオでの「アイヌネギ」発言 安住アナとサカナクション山口一郎さんで対応がわかれた考察

26年5月26日サカナクション山口一郎さんのオールナイトニッポンは、おねしょをめぐるトークで盛り上がっていました。

その界隈から嫌われる爆笑問題太田さんについて、ここ3週間ほどいっくんことサカナクション山口一郎さんが何度も取り上げている。その界隈から絶賛されたいたいっくんのトークがとても心地よい。

radikoで早朝からランニングしながら朝焼けに聞くエンディングは、その日に電話したリスナーがいうように、涙が出るくらいエモくて好き。

絶好調なサカナクション山口一郎さんのオールナイトニッポンです。本当に身体には気をつけて、続けて聞きたいラジオ番組です。

そんななか、ひとつ気になることがありました。いっくんが「アイヌネギ」と発言した点です。

アイヌネギをめぐる2つのラジオ番組内の対応

アイヌネギを巡って対照的な出来事があります。

2025年の年末TBSラジオ日曜天国内で安住紳一郎アナウンサーが発言した際は、すぐに謝罪が行われましたが、ニッポン放送サカナクション山口一郎のオールナイトニッポンでいっくんが発言した際は、そのままCMに入りましたが(気の所為かも)、特に言及や謝罪はありませんでした。

なぜ同じ言葉を発したのに、両者の対応はこれほどまでにわかれたのか?そこには、放送業界ならではの2つの明確な違いを見つけました。

そもそもアイヌネギとは?言葉の背景にあるもの

まず前提として、この植物の標準和名は「行者(ギョウジャ)ニンニク」です(安住アナもいっくんも言及)。

北海道出身の方にとっては春の訪れを告げるお馴染みの山菜であり、古くから地元では親しみを込めて「アイヌネギ」と呼ばれてきました(アイヌ語本来の名称は「プクサ」や「キトビロ」とも)。

ここで重要なのは、この言葉を使う側に悪意や差別的な意図があるケースはまったくもってない点です。

しかし特定の民族名を動植物の俗称として用いることは、現代の人権意識やコンプライアンスの観点から、メディアにおいて「取り扱いに注意すべき言葉(自主規制用語)」とされています。そのため放送上は「行者ニンニク」と言い換えるのが現在の基本ルールとなっていると聞きます。

言葉のプロか言葉の表現者か

ではなぜ対応が分かれたのか。最大の理由は「放送における立場の違い」です。 実は、安住アナ(帯広市出身)も山口一郎さん(小樽市出身)も、同じアイヌ文化と親しい北海道出身です。

2人にとってこの言葉は、極めて自然な郷土の言葉と感じます。

安住アナの立場(TBS役員・局アナ)

安住アナは放送局を代表する「言葉のプロフェッショナル」であり、現在は役員待遇という責任ある立場です。放送局が定めたガイドラインを遵守することは絶対の義務。

万が一注意用語を使った場合は、即座に訂正・謝罪することがアナウンサーとしての正しい危機管理です。

アイヌネギと発したあとの「行者(ギョウジャ)ニンニク」と言い換えた反射が、すごく印象に残っています。

安住アナってすごいんですよね。

サカナクション山口一郎さんの立場(アーティスト・外部パーソナリティ)

一方、山口さんは外部から招かれたミュージシャン。

番組側が彼に求めているのは「彼らしい自然な言葉やトーク」です。悪意のない郷土の言葉が出た際、アーティストに対してアナウンサーと同レベルの厳格な言葉の規制を強要し、無理に謝罪させることは、かえって表現の萎縮を招く不自然な対応だと解釈されます。

いっくんも行者ニンニクについて解説していたけれど、それは全国のリスナー向けであり、彼の「丁寧に描く」な姿勢でしょう。

言葉の表現者です。

番組の性質と時間帯

もう一つの理由は、番組が放送されている環境やターゲット層の違いです。

日曜天国の場合(休日の午前)

老若男女の幅広い層が聴取し、スポンサーの目も厳しい時間帯です。少しでも誤解を招く表現があればクレームに直結しやすいため、極めて厳格で迅速な対応が求められます。

オールナイトニッポンの場合(深夜ラジオ)

パーソナリティとリスナーの間に「密室の空間」が共有されています。(ナイナイ岡村さんのように漏れることはありましたが⋯)

不適切な言葉が出た直後にスッとCMに入ったのは、現場のディレクターが「グレーな言葉が出た」と察知し、裏で協議した結果だと推測できます(気の所為のようにも思える)。

その結果、「悪意のない地元言葉であり、ここで事を荒立てるべきではない」という大人のスルー(言及なし)を選択したように考察しました。

どちらもアイヌネギについて正解だった

違いがあれど、ふたりはアイヌ文化に親しい北海道出身です。

同じ北海道出身の2人が、悪意なく口にした故郷の言葉。 それに対する対応の違いは、言葉そのものの善悪ではなく、「メディアの人間として、どんな立場で責任を負っているか」の違いのように見えます。

安住アナの謝罪は「言葉のプロとしての誠実な仕事」であり、山口さんのスルーは「アーティストの自然な表現を守るためのラジオ的な判断」。

コンプライアンスが厳しく問われる現代において、ただ機械的に言葉を狩るのではなく、それぞれの立場と文脈に応じた「適切な状況判断」がそこにはあったと言える出来事のように感じました。

こんな視点も持つと、ラジオって面白いのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました